| ポンポン山から遠山記念館 |
| 2−2 | 遠山記念館 − 美術館 (今井兼次設計) |
| ■ 美術館の建築 設計は今井兼次(1895−1987)。竣工は1970年、75歳のときで、最後の設計であった。 → [ 今井兼次 ] 基本は単純な土蔵のような建物。農村地帯ということと、前からある和風の邸宅との調和をとうぜん考えている。 隣にあるのが母のための邸宅であるように、建築家はこちらの建物にも精一杯の心をこめている。 設計のはじめから私の心境のなかで大きい比重となっていたものは、先生御母堂の面影をこの建物に一粒でもかげに打ち込んでゆきたいとの願いであった。 (今井兼次「面影」 新建築1971.2月) 蔵の中央から入るとロビーがあり、展示室は左右に1室ずつ。 中近東と日本のコレクションにあわせて考えられ、まったく対照的な雰囲気になっている。 一方は、中近東のコプト裂地やタペストリ類の展示にふさわしく、固く、乾いた材質で、御影石と砂岩の床に砂壁。 もう一方は、日本ふうで、木と土で作っている。床は木のレンガ。壁と天井は合板で、壁の一部は本聚楽の塗りにしている。 どちらの展示室も、柔らかい光の中に展示物がある。直接、目に入る光源はない。 見上げると、天井の中央部が箱形に下がっていて、その横の面から透過光がさしてきている。 細部の装飾もいい。目を楽しませながら、過剰ではない、節度、品のよさ。 入口外側扉のブロンズレリーフと、定礎の石彫は、笹村草家人。 ロビー天井のフレスコ画は、作野旦平。 ロビーのステンドグラスの内側には、会田富康のモビルが吊されている。 建築家自身も細部のデザインをしているが、かつてここにあったのが梅屋敷といわれていたことから、梅の意匠も使われている。 実はこの記念館全体について、ずいぶん前に初めて来たときには、なんだか地味なところだと思っただけで、格別の印象が残らなかった。 しばらくたって次に来たときに、花を描いた淡いフレスコ画の美しさにはっと気がついて、印象が180度かわり、何から何までみんないい!に変わってしまった。 とても小さな部分がきっかけで、美術館の建築の大も小も、コレクションも、邸宅も、庭も、白黒の画面をカラーに切り替えたような感じとでもいうか、一斉によさが見えたような気がして、こんなことが起こることに驚いてしまった。 そして来るたびに「こんなものもある!」と新鮮な発見を与え続けてくれるコレクションの幅の広さと量と質の高さ。 |
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